なすびが語る電波少年的懸賞生活の裏話

1996年〜1999年頃、一斉を風靡したバラエティ番組「電波少年

猿岩石のユーラシア大陸横断、坂本ちゃんが東大を目指す「電波少年的東大一直線」等々、今や伝説と呼ばれる企画を次々に放送していた人気番組でしたが、その中でも異彩を放っていたのが、「人は懸賞だけで生活できるのか?」をテーマにした芸人なすびが挑戦する「電波少年的懸賞生活」ですね。

当時、中学生くらいでしたが厨二病全快だった頃だけに「こんなバンバン当たるわけねーよ。どうせやらせだろーよ。」斜に構えて見ていましたが、本当にガチだったようで・・・。

なすび氏が当時の裏話を語る動画がYouTubeにありましたので、ご紹介します。

なすびが今だから語れる電波少年的懸賞生活の裏話

・楽しそうに映っていたかもしれないが、懸賞が当たる瞬間はホンの一部分で大部分は、ただただハガキを書くだけだったので結構辛かった。
・正直辛かった。
・なすびを撮しているカメラは2時間おきにテープを交換する必要があったが、それはなすび自身が行っていた。
・電波少年的懸賞生活に携わっているスタッフとの交流はほとんど無かった。それはTプロデューサーが「心が痛むかもしれないけど、そこは心を鬼にしてなすびを孤独にした方が面白くなるから」という指示の元。

などの発言が印象的でしたね。

するぷはこう思った。

するぷ

当時は腹抱えて見ていましたが、冷静に考えると外にも出られない、やることは毎日全裸でハガキを書くことだけ。しかも、生きていくために必要なものは、自身で懸賞でつかみとらなくちゃいけないという、ある意味刑務所に入るより過酷な生活を1年半も行っていたんですものねー。

いやー凄いなぁー。僕だったら絶対途中で逃げ出してますよw

電波少年的懸賞生活で印象的だったのは、電車でGOを当てて、ずーっとなすびが3日間それをやり続けてたシーンかなー。ずーっとハガキを書く毎日でホントに娯楽が無かった反動はすさまじかったんだろうなーと。後日、それを反省して脱プレステを宣言してましたが、これも凄いことだと思いますよ。僕なら無理ですね。

いやはや、最近こういうぶっ飛んだバラエティ番組をしばらく見ていない気がするので、各局頑張って欲しいなー。今は苦情が凄いんでしょうけど、ニコ生あたりでやってほしいものですけどねー。

ネットに電波少年のようなめちゃくちゃぶっ飛んだバラエティ番組が出来ることを心よりお待ちしております。(-人-)

【関連】吉本芸人御用達!大阪難波にある「千とせ」で「肉吸い」を喰らう!
【関連】【動画】将棋の現役プロ棋士が語る「羽生善治の凄さと七冠王を維持できなくなった理由」